昭和43年 1月4日 夜のご理解
もう今日は、久保山先生の所に行けるだろうかと思うくらいに悪かったけれど、ちょうど迎えに来てもらう時間まで、私休ませてもらった。迎えに来るころ、少しおかげを頂いてから、元気を出してやらせてもらったけれど、今日はもう、お祭りはそんなわけで、あの一生懸命にならなければ、お祭りが出来ないというような状態であった。
もう御直会が沢山色々御ご馳走ができておったけれども、とにかく、お杯いっぱいのお神酒が頂きたくないというような状態、ほんとに御直会もそこそこにしてから、帰らせてもらった。
すぐ休ませてもらった。どうもはきけばっかり、胃が痛んだり、風邪気味のようであったり、なんじゃわからんような状態でしたから、今晩御祈念もご無礼してから、だれか若い人が仕えるたんでしょうけど、いま、あの久富さんところの長男が嫁の里から訪ねてありますという、お父さんがこちらにみえているていうので、お父さんを頼ってお願いにきました。
もう去年の暮れから風邪気味で休んでおる。もう二十八日から全然食物がなに一つとうらんというぐらいな状態、風邪であったけども、それが肺炎なり、現在ではもう医者がもう難しいから、親戚に知らせるべき、というところまでいっている。
もうこれは神様におすがりするよりなかけん、国雄さん金光様に連れてってくれんの、と言うてその、まあ、お母さんとお願いに見えたんです。少しやすんどったけれども、床の中でその事をお取次さして頂きましたらね、御心眼にあの、よう佃煮とか雲丹なんかの、こう、上、金物でふたになってるやつがある、ねじになったり、あれをですね、右にね、もう回しきるしこ回してある、ね、だからこれは、ますます硬くなるばっかり、今の病気の状態、今の医学の状態で、医学のそれでお医者さんがいくら力入れられても、入れられれば入れるだけ、しまってしまう、硬くなるということは、もう難しいちいう、もう硬い、硬くなるということは。その良くなり難いちいうこと。ね。私はそれを聞いちから、はあ、これはいよいよ難しかつばいなと思うて、お願いさせて頂きましたらですね、その私に、神様から頂くことはですね、人を助けて、我助かれということ。
私はね、そんとき私の中にそのなんちゅうですか、根性というですかね、何かこう、ひとつ私の信心で助かられるなら、こらひと頑張り頑張らにゃいかんぞ、とこう私は思うですね。
そして私が一心に今度は医者が右に回しよるとを、私がそれを左の方に回しきらん、これは・・・?回し切るかどうかわからんに致しましても、ね、そんなお知らせ頂いてから、今日はまたひれ伏して今晩の御祈念をまあ、奉仕させていただいたんですけどもね。
確かに医者や薬だけではどうにも出来ないことがあるんですね、先日のこの西田さん所の息子さんに・・?に退院して帰って来てね、本当に喜んだのはたった一日だった。あくる日は亡くなってある。ていうようにですね、医者が良くないとか、良かとか言うんじゃないけども、いわゆる医学万能じゃいかん、病気すりゃ医者どんがござるけん、というような考え方はいけん。
ほんとにおすがりさしてもろうて、神様のおかげでということでなければ、神様のおかげで医者にもかかる、神様のおかげで薬も頂くというような考え方にならなければだめだということを感じますね。
どうでもひとつおかげを頂いてもらわなきゃならん。もう医者も見放した、これから神様にすがらなきゃならないのですから、これが助かった時初めて、神様がなるほど、神様のお力というものを信心の無い者でも分かる事ができるだろう、とこう思うんですね。おかげ頂いてから元気ださせて頂いたら、寒気のしよったのが寒気もせんようになった。ね。
こう、熱ぱってこう、頭を下げよったらですね、もう吐気がくる、私は、ところが只今の御祈念の時にはいつものように、平伏させて頂いてから御祈念したけれども、こっちも今度はおかげ頂いてからね、人が助かる、人が助かることができさえすればよいという、その、その願い、その根性というかね、これはもう取次者にはどうでも必要だと私は思うたがね。
ああそうですか、お届けさせて頂きましよう、と言うて、私が床の中に入っとたら、こりゃ、、向うはたとえば良くなる、良くならんは別として、私がおかげ頂かん、ね。
そんなことでした。 おおつぼかよこ